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心と身体 >  闘病生活が広げてくれる心の視界と、現代医学の現状


私達は癌をはじめ大病を経験すると、その痛みを代償に大きな拾い物をします。
その痛みが大きかっただけに、その拾い物は人格の一部になるほどの尊いものです。

大 病から回復した方からよく聞かれることは、
「これまで見過ごしてきた大切なことに気がつき、感謝する気持ちが自然にわき上がってくるようになった。」
というのが最も多いように思います。

闘病期間は自分と向き合う機会が多くなり、しかもこれまでより客観的な視点から自分のことがよく見えたり感じたり、また目に見えるものにも新しい感性がはたらき、感動する機会が多くなったりします。

辛い闘病生活は私達の心の視界を広げてくれるはたらきもあるのでしょう。

好ましい医学界のありようは、そんな患者 の心のうごきを より多く引き出 し、良い結果に繋げられる存在であって欲しいと思います。

ところが実際は、文明が進み医学、科学が発達してきているはずなのに、この世から病気が減ってきているどころか、 逆にこれまで以上に難しい病気が増えていっているのではないでしょうか
このままですと現代医学中心の医療では、先々も明るい見通しはもてない気がします。

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一 方で昔からの素朴な民間療法の中には、自然治癒力を引き出すような考えが貫かれているものが多く、医療分野の可能性としては見直す価値が高いと感じます。

民間療法が主流だった時代は、現代のように科学 技術が発達していなかったために、身近な薬草を処方したり、あるいはもともと身体に備わっている自然治癒力を引き出そうと試行錯誤を繰り返してきたことと思います。

古代では近年のように科学的な方法はなかった分、様々な判断を下す場合には観念的な思考によるところも多く、「感」 に頼ってきた分、誤りも多かったことでしょう。

しかし圧倒的に長い年月にわたって試行錯誤を実践してきた結果、観念の分野については深いところまでの到達を可能にさせたとも考えられます。
そこから導き出され、的を得た良い結果のデータの蓄積は無視できません。

そしていつの頃か、精神と肉体は一つであるという思考の土台を築くことにもなり得たことでしょう。

現代の医療の現場では科学的な方法が貫かれてい て、体を構成しているものを細かく区別して(分析ともいうようです)診る形をとっていき、徐々に身体全体から診る治療法から遠ざかってきております。
そのせいなのか密接な関係をもっている精神
と肉体間や、それぞれの臓器間の影響力についてはあまり重きを置かれない処置のしかたがみられます。
例えば、患った臓器を簡単に切除してしまうのはその典型です。

科学技術の進歩で今まで見えないものが見えるようになり、更にさらに分析を進め、いよいよもとの一つのものから遠いところへ来てしまいました。

人類の知恵では人体の分析(分解?)をどこまでも進めていくことはできるでしょうが、その結果求める発見が得られた隣には、更にたくさんの難解な問題が見つかるわけです。
人の細胞一つでも医学的に解析し尽くすことは神様しかできないわけですが、現代医学はここに取り組んでいるように見えます。
こうして多くの難題を抱えている医者は患者にどんな処置ができるというのでしょうか。

器械の修理でしたらある程度用を成すラインで妥協しながら進めていっても、大きな問題にはならないかもしれませんが、人体の治療ではそういうわけにはいきません。

古い時代から言い伝えられてきた圧倒的な量の治療法と、それによって良い結果を残してきたデータに注目し、一方で現代医学もなくてはならない現在、どちらの治療法も公平に市民権を割り当てられて、同時に私達の選択にも確かな目をもてるようになりますことを切に望むところです。

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