「完全治癒への扉」へようこそ

人の力学 > 未知の世界観を誰でもすでにもっている


私達が未知の分野に関心を持ち始め、調べを進めていくとき人の話に耳を傾けたり書物を読んで吸収しようとします。

その過程で理解しながら説明を聞いたり本を読みすすめられるのは、その一字一句が自分が求めることに対してある予測をさせてくれるためなのでしょう。

更に読みすすめていくほどにその予測は書物が導いている到達点に近づいていき、そして読み終えたとき、言わんとすることとそれまでたくさん集められた予測が重なり、理解できたということ になります。

ことばや体験を通して未知だったことが認識されていくのは、混沌とした状態ながらももともと私達のな かにその世界観が備わっているためと思います。

未知の世界への入り口で呼び水となり得る適切な言葉と出合い、それが刺激となりある予測が生まれその先を追いかけたくなります。
また次の言葉が更なる予測を生み出し、少しづつこれまで未知だったことのイメージがまとり、意識の上へ上ってくるのでしょう。

つまり未知のことを理解できるのは外部から知識が導入されたというより、内部のものを引き出された結果ということではないでしょうか。

もちろん書物によってはその人にまったく理解していく上での予測が生まれないものも有りますが、それは人によって感性のはたらき易い分野とそうでない分野があることによることは理解でき ると思います。

また書物以外にも私達に刺激を与える出来事やものからの印象も、私達の内部に眠っているものを意識の表面に引き出してた結果なのでしょう。

読みすすめた書物への反論が生じたとしても、それは反論できるほど自分なりの認識がその書物からの刺激で引き出されたためといえます。

一度引き出されるとそこには道筋ができ、次からはそのイメージが簡単に再現されるようになり、また深い納得感が得られるほどその道筋は太く刻み込まれ、その人と一体化して人格の一部とも なっていくのでしょう。

学校教育の現場でも、教師は生徒へ知識を教え込もうとするよりは、興味を刺激しながら生徒にもともとそなわっているものを引き出し、それを伸ばしていく・・・を基本にして自然に知識が入っていくような取り組みが望ましいと思います。

教師の大きな仕事は、生徒として極端に逸脱しない範囲で内在する強い関心ごとを引き出し、それに取り組むよう導くことといえるでしょう。

生徒が強い関心を抱いた分野を求めていくのに基礎知識が必要な状況に出くわした場合は、強い関心ごとに対して一定の理解を得るために相当なエネルギーを注ぐでしょう。

つまり勉強を催促しなくても勝手に勉強するようになります。

スポンサーリンク

さらに勉強を進めて行くにしたがいもっとたくさんの予備知識を求められていきますが、これもどんどん勉強して知識を得ていくことでしょう。

結果的に関心のある分野でも高いレベルを獲得し、またそれを得るための基礎知識も身についていることになります。

こうした勉強の仕方は無理のない自然な形でその生徒らしい実力を身につけていくことと思います。

人間関係の中で考えてみると、対する相手はことばをかけたり表情で表したりしながらこちらへ何かを伝えようとします。

このとき伝わったと思われるものは相手から伝わったのではなく、相手の言葉や表情によって自分のなかにストックされているイメージが引き出され、自分の心のなかに広がった結果なのでしょ う。

相手の言動で嫌な感情が起こったとしても、多くはもともと自分のなかに有ったものが表面化したと考えられるため、その全てを相手のせいにしても筋違いになりますが居心地の良いものではありません。

どんな方にも良い面と良くない面が混沌としてそなわっていますが、なるべく良い面を引き出してくれる相手を友としたいものです。

また特に夫婦関係は密度が濃く長い付き合いのなかから自然な関係が出来上がり、率直な言葉や表情のやり取りから、よその人との関係以上にいろいろな面を引き出してくれます。

夫婦関係は社会の中で最後の砦ですので関係を大事にしながら良いものを引き出して上げないと、これは自分に跳ね返ってくることになりますので、そうした配慮が大切です。

このように私達の深層意識にはあらゆるイメージが混沌とした状態で元々詰まっていて、ある刺激によってそれと関係のあることへの道筋が画かれていき、結果その道中から見える景色が意識の 表面へ浮き上がってきて、それを一般的に「認識できた」といわれていることなのではないで しょうか?

スポンサーリンク

人の力学 > 未知の世界観を誰でもすでにもっている

↑ PAGE TOP