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人の力学 >「正しい」の基準はあやふや


私達は 「正しい」か「正しくない」かを、物事を判断するための一つの基準にして日々生活を送っております。

残念なことに私達の常識と思われているものには、イコール必ずしも正しいとはいえないことが結構多く、ただ多くの人たちが「正しい」と言うから正しいことになっている事が多くあります。

日常の判断基準としてはそれで支障はないですが、場合によっては「正しい」の基準を掘り下げて、果たしてそれが信頼できる基準になのかどうかを再確認して進まなければ大きな失敗に繋がります。

現在「正しい」とされているものの中には、最初は問題が含まれていた事柄だったものもあります。

時代の流れや、発言力のある方により価値有るものが示されたことがきっかけで、やがて多くの人たちに認められていき、やっと「正しい」になったものも多くあります。
また逆もあります。
判りやすい例では天道説と地動説の例がありますね。

これまでに無かった新しいアイディアをもつ人間は、認められるまでは変人扱いされます。

天道説ほど大きな事ではなく日常的にも、私達の身の回りには価値ある発見は相当多いのでしょう。
一例をあげると、職人の技もその一つでしょう。
こうした技術は必ずしも万人に認められずともその職人のなかには確かなものとして存在しております。
この技を弟子に伝えるのには場合によっては何十年も費やさなければならないものもあります。

こうなると一般人には難解なため通用しない理屈になりますから「正しい」ということにはなりにくいものです。
正確には「正しくない」にもなりません。

職人じゃなくて一般の人の中にもそれぞれ独自の感性を持ち合わせていて、表には出なかったけれども結構価値ある見解をもっている方たちはたくさんおります。

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単なる勘違いや思い込みだったものを省いても、その中の価値の高いものは所有者本人にしか理解できないものが多いですが、彼ら感性の持ち主の中には嘘はなく確かに存在しております。

これがなぜ一般に広がらないのか原因を考えてみると

ことばには限界があるため。
ことばを操る能力が足りない。
社会的には今その技術の必要性を感じられない。
その分野に関する常識が磐石なために、新しいものが入り込む余地が認められにくい。
その技術をもっている方の特異な人間性のため評価されない。
技術や知識をもっている本人が伝えようと思わない。
・・・・・

こうした要因が思いつきます。
これらの壁を乗り越えないと、高い価値を有するものでも認められない世の性質がありますので、埋もれたままのアイデアや技術は「正しい」ものよりはるかに多いでしょう。

レベルの高い職人は多くの人たちには認められていない、つまり「正しい」ともいえない感性や技を使って多くの人たちに認められるものを生み出しております。

このように価値ある知識や技は、そこに関わる限られた人たちにしか本当の部分はつかめていないのが実状です。

ものによってその技や知識の使われ方は、都合のいいようにいろいろな形にアレンジされたものが広く伝えられ、それを私達は常識として理解しているものも多くあります。

しかし大事な判断をせまられた場合に使う基準は本物でなくてはなりませんので、それらの中から見極められる目をもたなければなりません。

しかも現代のネット社会ではこれまでの常識といわれてきたものに更に新しい情報がプラスされ、速いスピードで私達の前を通過していっています。

便利そうで耳障りが良い情報や物がたくさん生み出され、その裏で本当に大事なものがどんどん埋もれていき、いよいよこの状況で本物を見極めるのは至難の技となっています。
そうしたなかで確かなことやものを見極める基準になるものの一つとして、自然の摂理に則した情報なり常識かどうか?ということがいえると思います。

病気から身を守るための知識や情報についても、ネット上にたくさん出ていて私達の混乱を招く元にもなっている状況でも同様のことが言え、時代が変わっても変わらない自然の摂理を判断基準としていくことが、リスクを最小限に留めるための智恵といえるでしょう。

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